高津のこと
都内に実家がある上に、大学も就職先も都内だった私は、社会人になって数年経つまでひとり暮らしというものをしたことがなかった。どちらも一時間以内で通えたし、ひとり暮らしをする必要がなかったという理由が大きい。とはいえ二十代も半ばに差し掛かると、さすがにこの歳でずっとぬくぬくと実家の世話になっていることの恥ずかしさもあり、本格的に家探しをはじめた。
子供の頃から折り込みチラシの間取り図を眺めてはあれこれ妄想するのが好きだったせいで、私はやたらと物件の理想が高い。ひとり暮らしのアパート探しも、だいぶ不動産屋さんを困らせたと思う。私の条件は以下。
間取りは1K以上、南向きの角部屋、日当たり風通し良好、三階以上、バルコニー付き、独立洗面台、バストイレ別、オートロック、内廊下、築五年以内、駅徒歩七分以内、家賃八万円以下。加えて、なんと最寄り駅まで指定した。田園都市線の二子新地か高津か溝の口。
最寄り駅を指定したのには訳がある。当時の勤め先は、田園都市線の梶が谷というところにあった。上り列車で見る朝の混雑は殺人的だ。乗り換えが苦手だから田園都市線沿いに住みたいけれど、それならば絶対に下り列車で通勤できる駅が良い。しかし、多摩川を境に、つまりは東京都か神奈川県かで家賃の相場は数万円変わる。私が提示したわがままな条件で、東京都側に該当物件がないことは分かりきっていた。梶が谷よりも東京寄りで神奈川県にある駅は、この三つだけだった。
数ヶ月かかってようやく該当する物件が見つかり、内見に行った。高津駅から徒歩七分。隣の溝の口駅までも一〇分で、買い物に便利だという。七畳と書かれた洋間はその数字よりも広く感じたし、白い床に最初は驚いたけれど、マメに掃除をするようになるかもしれないと捉えた。ワンフロアに三部屋しかない小さな物件で、そのうち両端の二部屋は三方向に窓があった。すべて開け放ってみると、スゥーッと心地よく風が抜けた。それが決め手だった。
「住めば都」という以上に、私はこの部屋の虜になった。買い物や映画は二駅先の二子玉川で事足りて便利なのに、都心のような騒がしさがなく、窓を開けていても静かだった。夏の終わりには虫の音が聞こえる。日当たりの良さから冬は暖房を付けなくても部屋が温まり、日差しを浴びながらラグに寝転び本を読んで過ごした。玄関脇の小窓にはフラワーボックスが付いていたから、虫よけも兼ねてゼラニウムを育てた。
もちろん、住んでから気付いた不便な点もある。たとえば、エレベーターがない。私の部屋は三階だったから、普段の生活に支障はないが、趣味の釣りに出かけるのは大変だった。重いクーラーボックスや他の道具類を担いで階段の上り下りをするのはなかなかのものだった。キッチンも狭かったので、大きな魚を捌こうとするとシンクからはみ出した。それでも私はこの部屋が好きで、転職は二回したけれど、結局五年間住み続けた。
高津には、私が世界でいちばん好きな店がある。
日本酒と鉄板焼きのお店で、ひやをワイングラスで味わう古酒も、同じものは二度出さないというお料理も、どれもうっとりする美味しさ。七年ほど前に初めて訪れた時は、うっかり自分の量を超えて飲んでしまった。この店から歩いて帰れるというところも、高津に住み続ける理由のひとつだった。結婚を機に墨田区に越した今でも通っているが、大抵は予約よりも早めに高津に着いて散歩をする。さながら忘れられない男でもいるかのような面持ちで、あてもなく、ウロウロと。そうすると困ったもので、また新たな高津の魅力を発見してしまったりして、あぁ、好きだなぁ、戻りたいなぁ、という気持ちが強くなるのだ。
今はまだ戻れない。でも、いつかは。
心に秘めた私の計画を、墨田区が好きな夫はなにも知らない。